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昨日、3月31日付けで退職された社員の方にも参加して頂いて、歓送迎会を開催しました。
平成22年度の一年間、社員の皆さんに頑張って頂いた慰労も兼ねながらの開催です。
震災後に弊社もしばらくの間休業を余儀なくされ、その間に65歳を迎えた社員の方が退職したために、しっかりとしたお別れや感謝の気持ちを伝えられない社員の皆さんが殆どでした。
震災から49日という節目の日と重なりましたが、会社としても一つの節目としてお世話になった社員の方にしっかりと感謝の気持ちを伝えることが出来ましたし、新しい仲間となった新入社員も交えて、多いに親睦を図ることができました。
出会いと別れは人生につきものではありますが、やはり別れには寂しさを覚えます。
退職された社員の方におかれましては、健康には十分に留意しながら、これからの充実した第2の人生を過ごして頂ければと思います。
15年間という長きに渡り会社にご貢献を頂いて、本当にありがとうございました。
4月中旬から工事を開始させて頂いていました、納屋と農機具小屋の解体工事が無事に終了しました。
敷地内にある、二つの建物の解体工事です。
いまある荷物や農機具を仮にいれておくために、単管を利用しながら自社の大工さんに小屋を仮設で造ってもらいました。隣の小屋は、リースで借りてきたプレハブです。
敷地内の地盤状況が良くないので、仮設道路として鉄板を布設しての工事です。
まずは、それぞれ中にある物を撤去して、手前にある農機具小屋から解体を行いました。
次に、大きい方の小屋の解体です。外壁を落として屋根まで取り外してしまってから軸組を解体します。
解体は自社機械で行い、自社の4Tダンプで運び出しました。
荷台の木材が飛ばないように、シートで養生も行います。
この鉄板は連休明けから別現場で使用するために、もう少しだけ現場に置かせて頂きます。
最後は、お客様と相談をしながら敷砂利範囲を決めて整地を行いました。
お客様にも様々なご配慮を頂き、スムーズに工事をさせて頂いて本当にありがとうございました。
本日、浄化槽の申請~浄化槽工事(公共工事)~宅内リフォーム(トイレの水洗化)まで行った工事の完成検査がありました。
浄化槽工事は既に役所の竣工検査を受けているので、今回は宅内排水設備の完成検査になります。
今回は、浄化槽の申請からトイレの水洗化工事まで、一貫して弊社で実施させて頂きました。
下写真は、弊社で施工させて頂いた浄化槽です。
設置スペースが狭いため、役所と協議をしてコンパクトタイプの浄化槽にしたり、道路荷重を防ぐための擁壁を底版から立ち上げたりと、通常とは違った施工になりました。
防雪柵の基礎や暗渠排水にしても、上部スラブコンクリートや浄化槽本体に干渉しないように、施工位置にも配慮した工夫をしています。
トイレに関しては、簡易水栓トイレから水洗トイレに交換しています。
トイレの床を新しくすると同時にクッションフロアーを設置して、トイレは最新の節水型トイレにしています。
4.8㍑で洗浄できる、TOTOの新ピュアレストQRです。
トルネード洗浄でトイレの清掃も楽になっていますし、壁についたリモコンでトレイを洗浄することが出来るので、腰を曲げる必要もありません。
トイレを流すボタンが3種類あって、4.8㍑(大),4.0㍑(小),3.8㍑(Eco小)と分かれていて、それぞれ使い分けることで更に節水をすることが出来ます。
こうした節水トイレは、排水距離が短いトイレの水洗化ではお薦めです。
今回の工事では、クッションフロアーの貼り付け以外は、全て自社で作業をしています。
浄化槽の設置も全て自社施工ですし、こうした外回りの配管工事も自社施工です。
今回はちょっとした大工工事もありましたが、それも弊社の大工さんが施工していますし、トイレの器具設置も自社の設備工さんで対応することが出来ています。
トータルリフォームという名前を弊社の代名詞として使用させて頂いておりますが、本工事ではその大部分を自社施工で責任を持って進めることが出来ました。
これからも、こうした施工能力を大切にしていきたいと考えています。
本日の工事完成検査も問題無く終了することが出来ました。
管の勾配や管通りまで、全て市役所の担当者の方がチェックします。浄化槽でも段階的な確認を発注者が行っていますので、要所について市役所の確認立合が実施されています。
こうして第三者のチェックもしっかりと行われながら作られた浄化槽であり排水設備なので、お客様にも安心してお使い頂けます。
お客様からも「本当に良くして頂いて」と、お褒めのお言葉を頂いた事も嬉しかったです。
浄化槽工事からトイレの水洗化リフォーム工事まで、長い間本当にありがとうございました
今日は、岩手県建設業青年部の会議が盛岡でありました。
会社が流されたり身内にも不幸がありながらも、そんな厳しい状況下にあっても地域のために頑張っている話を聞きました。
行政機能が大きく損なわれている地域は、組織的な指示系統が無い場合も多く、片付けにしても仮設住宅にしても進み辛い状況があるようです。
平地の多くが被災してしまっている大槌や高田の場合、仮設住宅を造るための平場を確保するだけでも、造成等が必要となり、より多くの手間が必要になっています。
今後、更に地域間で復興の進捗に差が出るような気がしてなりません。
岩手県にしても、必要な地域には復興統括センター(仮)のような出先機関を設けるなどして、地域にしっかりと腰を据えた長期的な支援が必要になると想います。
私達建設業も組織的な動きを取れるような状況にあれば良いのですが、契約も無く単価も決まっていないような状況下にあっては、被災地の建設業者も内地の応援を頼むことは出来ません。
そして何よりも指示系統がしっかりしていないままでは、多くの機械を投入しても混乱して作業が進まないだけでは無く、作業上のリスク増加や渋滞を誘発してしまい、事故やトラブルの元になってしまいます。
ただ今後も、必要とされる時に直ぐに手を差し伸べられるようにはしていくつもりです。
高田一中で、映画と縁日のイベントを行ってきました。
心配していた天気も回復し、良い天気の中で縁日を外で開催することが出来ました。
高田一中内の桜も咲いている中で、春の訪れを感じながらのイベント開催です。
子供達からお年寄りの方々まで、幅広く楽しんでいただけました。
おやつ感覚で、わたあめ・ポップコーン・ジュース・チョコバナナ・フランクフルト。その他にも、きりせんしょ(お菓子)やコーヒー、甘酒などを楽しんで頂きました。
子供向けのゲームなども用意して、ストラックアウトや射的などで楽しんでもらいました。
中学校2階の音楽室では、午前中は子供向けに「カンフーパンダ」、午後には「がばいばあちゃん」を上映して、皆さんに楽しんで頂くことが出来ました。
出張酒蔵祭りということで、石鳥谷・大迫の商工会青年部の人達が主体となり実現したイベントです。
被災地の皆さんとのふれ合いや子供達の笑顔に出会ったこと。そして、実際に被災地の状況を目の当たりにしたことで、参加した皆さんにとっても、それぞれに思う所があり良い経験となりました。
世話役の私としても、何もトラブル無く終えると同時に、皆さんと楽しい時間を過ごすことが出来て良かったです。
多くの皆様のお世話になり、本当にありがとうございました
一昨日、陸前高田から石鳥谷に来て自分でアパート借りて住んでいる人が弊社を訪れました。
偶然的な要素も大きいのですが、高田の親戚の会社で働いていた人で、私の両親が良く知っている人でした。
本当に不意に訪れたのですが、高田に住んでいたときの私達の家の屋号も知っていらしたので、こんな出会いもあるのかと本当に驚きでした。
そこで現在の状況を聞いたのですが、現在のところ何の支援も受けていないということでした。
そこで花巻市に問い合わせをしたところ、まずは話を聞きたいと言うことで、早速父親がその人を連れて花巻市に行ってきました。
結果的には、希望する支援物資であるものは頂けるというのが、現在の花巻市の支援でした。
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仮設住宅に入居した人と、自力でアパートなどを探して入っている人と、あまりにも支援の状況に差があるという話をしていた矢先に、今日の岩手日報に記事が載っていました。
それによると、仮設住宅と同じように家賃の負担を県が行ってくれて、家電に関しても日赤が提供をしてくれるというものでした。
こうした支援があると、助かる方が大勢いらっしゃると思います。
期限がある中ではありますが、まずは生活を安定させることで、未来に向けて頑張っていく礎が出来るのだと想います。
今日は、花巻建設業青年部が主催する建設業ふれあい事業の打ち合わせをする機会がありました。
20年以上続いている中学校のふれ合い事業に加えて、3年前からは小学校のふれ合い事業を開催しています。
このふれ合い事業では、学校内の修繕工事などの地域貢献に加えて、重機や測量体験など建設業の一部を実際に体験することができて、子供達にはいつも喜んでもらっています。
今年の開催に向けて小学校の校長先生と打ち合わせをしてきたのですが、建設業は被災地の復興支援で大変だという話をよく言われることがあります。
これから先のことは確かに分かりませんが、そうした被災地の支援をすることも当然大切なことですし、そうした活動と合わせて、自分達の地元の子供達に笑顔を届ける活動は同じように大切だと考えています。
被災地支援と自分達の地元である地域の活性化や貢献活動とは、両輪の活動であるべきだと想います。
青年部会長として、こうした意識を大切に今年も仲間達と事業を進めていくつもりです。
昨日、クレーン車が小学校の列に突っ込み6人もの尊い命が失われたニュースがありました。
本当に信じられないような事故が起きる可能性を改めて認識させられます。
どんなに後悔したとしても、残念ながら事実が変わる事はありません。
私達建設業は、普通の仕事よりも遙かにリスクが高い中で仕事をしています。だからこそ、こうした事故が万が一自分達の中で起きた時のことを想像しなくてはなりません。
誰かを悲しませるようなことを、絶対に起こさないようにするために。
今朝の朝礼でもこの事故の話をすることで、改めて気を引き締め直して、日々の仕事に向き合っていくつもりです。
今週の日曜日(24日)に、陸前高田一中でイベントを開催することになりました。
出張「酒蔵まつり」と題して、子供達に笑顔を届けるべく、花巻市石鳥谷の酒蔵まつり実行団体協議会の皆さんが主体となって、石鳥谷農協青年部や大迫商工会青年部の皆様の協力も得て開催してきます。
その事前打ち合わせとして、私と担当の事務局との二人で陸前高田一中に行ってきました。
現地の状況などに関して打ち合わせをしながら、映画の上映と縁日的に屋台を出すことになりそうです。
映画は一中の音楽室をお借りして、午前10時より子供向けに「カンフーパンダ」を上映し、午後1時からは家族向けに「がばいばあちゃん」を上映します。
こうした版権の会社にしても、被災地向けのボランティアということでいつも以上に安く協力をしてくれているそうです。
屋台的には、子供向けのジュースを作ったり、わたあめ、ポップコーンを映画向けに提供しますし、その他は、ストラックアウトのようなイベントや、手軽におやつ的に食べられるようなものを出す予定です。
年に4回開催している、「石鳥谷の酒蔵まつり」のノウハウがあるので、そうした得意なことを活かして、子供達に笑顔になってもらうために、中村会長が被災地に行くことを決めてくれました。
朝早くに石鳥谷を出発して、菩提寺である浄土寺から一度陸前高田の状況をスタッフの皆さんに見てもらってから、一中に移動してイベントを開催する予定です。
限られた時間の中ではありますが、現実の高田の状況もスタッフの皆さんには見ておいて頂きたいと思っています。
こうした現実を受け止めながら、今の自分達が置かれている状況を考え、明日への力に変えていってもらいたいと考えています。
当日の天気が少し心配ではありますが、なんとか晴天の下でイベントが出来るように、少しでも良い方向に変わっていって欲しいものです。
被災状況が酷い地域であればある程、従来のシステムが機能しないのだと思います。
通常であれば、県や国、外部の方々にこうして欲しいという要望を上げて、そうした課題や要望を解決するための施策なり、支援が行われていきます。
今回のように類をみない被災状況の場合、誰しもがこれから先の復興へのプロセスを描くことに頭を抱えてしまうでしょうし、どうして行けばいいのか明確なビジョンを持つことは難しいことだと思います。
それでもビジョンを持つことが出来る地域は、復興に向けて歩みを早めていくことが出来るのかもしれません。
ただ問題は、そうしたビジョンを持つことが出来ない地域です。
国や県、外部に対して何かをお願いしようにも、何からどうお願いしていけば良いのか? そうした判断にも迷うこともあるかもしれません。
だからこそ、従来型の差し伸べられた手を掴む支援の方法ではなくて、こちらから手を差し伸べる支援が大切になります。
被災地の状況により、求められる支援のあり方から大きく違っているように思います。
本日、陸前高田支援連絡協議会「Aid TAKATA」が主催するフォーラムが東京の池袋で開催されています。
東京にいながら、陸前高田にご縁のある方々が集まり、こうして自分達が出来ることをしようとして努力をされています。
震災当初からSave Takataという組織を立ち上げ : http://savetakata.org/
更に大きな支援の輪にしていこうと活動を続けています。
自分達の得意な事を活かし、システムを創りながら継続的に支援を続けていくこと。
情報発信にしても、本日のフォーラムがUSTREAMで生中継されておりました。多くの方々に情報を発信することで関心を呼び起こし、物事を動かす力へとつなげていくことができます。
お誘いを受けながら本日のフォーラムに参加できずに申し訳ありませんでしたが、こうして頑張っている多くの方々の活動の輪が拡がり、大きな力となっていくことを願っています。
子供と共に早起きをするようになって、今日で5日目です。
家から小学校まで、徒歩で約40分。 小さい体で毎日頑張って歩いていくために、朝7時過ぎには家を出なくてはなりません。
「一緒に行く友達を待たせてはいけない。」
自分の事よりも、他の人の事を引き合いに出した方が、やらなければならないと思うみたいです。
早く起きないといけないと思うと、子供も私も当然早く寝るようになります。最近は明るくなるのも早いですし、何かより良いリズムになっている気がします。
ただ、子供の寝起きの悪さはお父さん譲りなようです。
夜は前向きなのに、朝になると、「起きたくな~い」 と直ぐに弱音を言います。
動き出せば大丈夫なのですが、何事も最初の一歩を踏み出すのが大変なんですよね。
小学校生活も、保育園から環境が大きく変わって、今が一番大変な時なのかもしれません。
一つ一つを乗り越えながら、多くを経験して成長していって欲しいものです
地域の皆様からのお陰様で、建物修繕工事,水路等の維持管理工事、倒木処理,水回りリフォーム,建物の解体工事など、様々な工事を現在進めさせて頂いております。
専門的な一部を除いて、殆ど全てを自社施工出来る状態を維持していくためには、技術の継承が必要不可欠です。
一年間を通して専門的な仕事をするというよりも、一人一人の社員がコアな技術を有しながら技術の幅を拡げ、様々な仕事に自社対応出来るようにしていくことを、弊社では大切に考えています。
確かにそれは効率が悪いことかもしれません。
ただこうやって幅広い技術を持った社員がいることで、緊急時や様々なニーズに対して、可能な限り迅速に対応出来るメリットがあります。
お客様にとっても、顔が見える関係の中で信頼して仕事を頼みやすくもなりますし、私達も自信を持って仕事を進めることができます。
自分達だけで全ての仕事を出来る訳ではありませんし、協力業者の皆さんやメーカーの皆さんの協力が無ければ、様々な工事を仕上げていくことは到底できません。
ただ、その核となる部分には弊社の社員が責任を持っているようにしたい。
そう考えて、日々向上を目指していきます。
今日は仮設住宅の中を見る機会がありました。
仮設とは良いながらも2LDKですし、エアコン・キッチン・ガスコンロ・水洗トイレ・ユニットバスがついています。
そして、日本赤十字からの提供ということで、冷蔵庫,全自動洗濯機,電子レンジ,炊飯ジャーもありますし、寒さ対策で電気コタツも支給されるそうです。
井戸水ではありますがライフラインも全て整っていますし、生活をする上で必要な有る程度のものが揃ってはいます。
本当に素晴らしい程の設備が整っています。
しかし、これだけの設備でありながらも、抽選に当たった人の中で辞退する人が出ています。
どうして申し込みをしていながら辞退する人がいたのか、その理由が良く分かりませんでした。
話を聞きながら想像するに、光熱費等の費用負担に加えて、当初仮設住宅の人は自分で食料を確保しなければならない条件がネックだったのかもしれません。
(今は、当面の間は食料を支給することに変更になっています。)
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支援金の話やお見舞い金の話はニュースでも出ていますが、いつ被災者の人達に届くのか分かりませんし、仕事を失った人達が多くいます。
会社が再建され再就職出来る場合は良いですが、新たな雇用を生み出す工夫をしながら、自立し真に生活再建できるような仕組みも整えていかなければ、被災地に留まっての、本当の意味での再出発が出来ません。
そして在宅被災者の中で、食料を独自に確保できない特にも高齢者世帯の状況が厳しい現状があります。
こうした事を解決していくためにも思い切った政策が早急に必要ですし、他地域で実施されている良い事例を参考にするのも一案だと想います。
今まで写真を敢えて載せないできたのですが、状況をより分かり易く知ってい頂くために、写真も使うようにしていきます。
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片付けが進む前の、震災6日後のお寺の状況です。
お寺周囲の大変な状況が良く分かるかと思います。
下の2枚は先日のボランティアによる片付け前の状況です。
大きな屋根は下の幼稚園の屋根が津波で押し流されてきたものです。
お墓の方からみた、境内の状況です。
震災直後よりは、片付けが進んでいました。
お寺の入り口の柱も1本流されたために、2本のサポートで仮に補修しています。
こうしてバックホウやダンプも利用して、片付けを行っています。
機械作業だけではなく、構造物付近は人手もかなり必要になります。
人で積むことを考えて、ローダーも持っていきました。
お墓に上がる通路を確保しました。
今日も菩提寺や建設業関係の打ち合わせがあって、陸前高田まで行ってきました。
午後2時に浄土寺で打ち合わせをすることにしていたのですが、本日4月11日が震災から丁度1ヶ月ということもあって、津波があった時刻の14時46分からご住職が追悼の鐘を鳴らすというお話しを聞きました。
今後の片付けの打ち合わせやお墓の修繕についてお話しをしながら時間になり、ご住職が鳴らす追悼の鐘の音を間近に聞きながら、手を合わせることが出来ました。
遠く光照寺からも、鐘の音が聞こえていました。
この時間に合わせて、多くの方々が手を合わせご冥福を祈ったのだと想います。
今日も余震が各地で続いていますが、震災の傷跡が余りにも大きすぎ、復興の道筋が未だに明確に見えてはいないのが現状です。
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